安直な「対談本」が多過ぎませんか

村上さん、おはようございます。質問受付が今日まで、ということでとても残念です。さて、質問です。
ここ数年、日本では「有名人同士の対談本」が大量に出版されています。ベストセラーを出した有名学者と評論家や弁護士、作家等の対談、といったものですね。対談者のどちらかに興味がある場合、購入して読みたいのですが、余りにも出版点数が多く、時間と小遣いが足りずに諦めることが多くなりました。また、内容的にも学者さんが専門外の話をせざるを得ない企画があり、内容が薄い書籍も散見されるのが、その学者のファンとしては残念な気がします。日米の出版事情にお詳しいであろう村上さんに伺いたいのですが、アメリカでもこの手の対談本は盛んに出版されているのでしょうか? 
(コードネームが欲しいマン、男性、44歳、会社員)

そうですね。僕も常々あなたと同じようなことを考えてきました。こんなことを言うと角が立ちそうだけど、日本で出ている対談本って、内容が薄いものがわりに多いです。出版社が対談集をたくさん出すのは、多くの場合(もちろんみんながみんなそうではありませんが)お手軽に本が作れるからです。有名人を二人揃えて、適当に喋らせて、それで一冊本をこしらえてしまう。そういう例が少なくありません。

僕は作家になったばかりの頃、いくつか対談をやりました。村上龍さんとやったし、中上健次さんともやったし、五木寛之さんともやりました。で、そのたびに相手の作家が書いた小説をしっかり読破して対談に臨みました。そうしないと失礼ですから。でもそんなことをしていると、なにしろ時間がかかってしょうがないんです。五木さんなんてものすごい数の本を出していますから、とても読み切れません。だからあるときから対談はしないと決めてしまいました。中途半端なことはしたくないから。

河合隼雄さんと小澤征爾さんとは一緒に本を出していますが、それは僕がその人たちにインタビューするというかたちをとっています。普通の対談本とは色合いが違います。僕が聞き手として、お二人の話をうかがっているわけですから。インタビューするのって、僕は好きです。

アメリカでは対談本って、まず出ません。対談という形式もほとんど見かけません。どうしてかなと思うんだけど、きっと二人の人間が真剣に対話をやりだすと、そんな簡単には結論が出ないからじゃないでしょうか。日本の対談って、あるところまで来ると、「じゃあ、まあこういうことで」みたいに話が適当にまとめられ、切り上げられてしまうことが多いです。あるいは結論も出ないまま、それぞれに「言いっ放し」みたいにして本が終わります。そういう生ぬるさというか、なあなあっぽい感じが、僕としては少し首を傾げたくなるのです。

もちろんすごく面白い対談本もあると思うんだけど、いかんせんお手軽なものが多すぎるように僕は感じます。異論はあるかもしれませんが。

村上春樹拝