音楽と文章――直感と思索

私は村上さんの小説と同じくらい、村上さんの音楽に関する文章が好きで愛読している者です。

私は昔から音楽に関する書物が好きで、評論や音楽家の伝記など手当たり次第に読みふけってしまう時期さえありました。ところがある時、私よりはるかに音楽をよく聴く友人に「それはお前が自分の耳に自信が無いから、活字で補おうとしてるだけやないのか?」と言われ、そうかなあと思いつつなんとなく釈然としないまま反論もできませんでした。

とはいうものの、いい音楽を聴くとそれを文章で表現したいと思うこと、あるいは逆に(村上さんの音楽エッセイのように)音楽について書かれたすぐれた文章を読むと、その音楽を聴いてみたいと思うこと、というのはごく自然な事のようにも思うのですが、村上さんは音楽と言葉のかかわりについてどのようにお考えでしょうか。
(匿名希望、男性、45歳、自営業)

僕は素晴らしい音楽を聴いたら、その素晴らしさをなんとか文章のかたちに置き換えてみたいといつも思います。それはとても自然な欲求なのです。そしてその文章を誰かが読んで、「ああ、この音楽を聴いてみたいな」と思ってくれたら、それに勝る喜びはありません。でも音楽を文章で表すのって、ずいぶんむずかしいです。僕はそれを自分にとっての大事な文章修行だとみなしています。

音楽を聴くことと、音楽についての文章を読むことは、お互いを助け合う行為だろうと僕は考えていますが。直感と思索は、互いを支え合うべきものなのです。

村上春樹拝