不幸じゃないと文学は極められない!?

村上さん、こんにちは。
昔大学の文学部でアルバイトしていた時の話です。
いつも明るくて話が面白い女の先生がいました。
その先生が何かいいことがあってウキウキしていると同僚の男の先生から「不幸じゃないと文学は極められないぞ」というようなことを言われたそうです。
そういうものなのでしょうか? 
私は時々小説を読むだけですが、それを聞いたときなんだか目の前でドアをピシャッと閉められたような気分がしました。
その後、本当に辛いときには全身の皮膚がピリピリ痛くなるんだということを知り、これは体感しないと分からないなあと思いました。
あの男の先生の言うことにも一理あったのかな。
(panda、女性、43歳)

不幸や痛みは、いわば人生の香辛料のようなものです。たしかにそういうものがまったくないと、人の哀しみや痛みもわかりませんし、たぶん小説みたいなものも書けないだろうと思います。でもだからといって「幸福になってはいけない」ということはありませんよね。小説家がむずかしい顔をしていなくてはならないというのは、無意味な思い込みだと僕は思います。

だいたい文学をきわめるって、どういうことなんでしょうね? 楽しさも、ウキウキも、文学の大事な一部だと思うんですが。

村上春樹拝