発表した小説の影響力に怖くなることは?

2つお聞きしたいことがございます。
村上さんは、小説は「書きたいから書く。書きたいという気持ちがなくなったら書くのをやめる」という趣旨のことをおっしゃっていますが、書きたいという気持ちと、それを誰か(できるだけ多くの人に)読んで欲しいと思う気持ちはセットなのでしょうか? つまり、特に誰かに読んで欲しいわけではないけどとにかく書きたい、と思うこともありえるのでしょうか? 
また、村上さんが好むと好まざるとにかかわらず、村上さんが新作を発表されると世界中の多くの人が読み、その中の一定数の人は、生きる活力がわくとか、あるいはまったく逆の精神状況にいざなわれたりします。場合によっては、一人の人の人生を、良い意味でも悪い意味でも大きく左右してしまうこともあるのでしょう。ここでは謙遜なさらず、そんなケースが多くある、と認定したうえでお答えいただきたいのですが、そのような影響力を自分が持っているということについて、ご自身はどのようにお考えでしょうか? もちろん小説を読んだ人のその後の人生なんて、その作家に責任があるはずもないのですが、少し怖くなったりすることはございませんか? 
(タケゾー、男性、32歳、会社員)

説明するのはとてもむずかしいのですが、僕は「僕自身と契約を結ぶ」という気持ちで小説を書いています。僕と僕自身とのあいだで、小説を書くというコミットメントを共有するわけです。そこには他の要素はほとんど入ってきません。できあがった作品が社会的にどのような意味を持ち、それがどのような影響を人に与えるか(与える可能性を持っているか)、みたいなことはまず考えません。そんなことを考えていたら、小説なんてむずかしくてとても書けません。

というのが僕の考え方ですが、ご理解いただけましたでしょうか? 

村上春樹拝