世界の混沌の中で生きる若い人々へ

つい先ほど、韓国の少年が行方不明になり、どうらや「イスラム国」に入っていったようだとの報道がありました。少年は中学時代に不登校となり、「新しい人生を生きたい」と、イスラム国参加の意向をツイッターに書き込んでいたそうです。
奇しくも「オウム真理教事件」から20年目の今年、「イスラム国」の脅威が、日本においても肌身で感じられるほどの現実になっています。
1995年当時、社会とうまく折り合いをつけられない日本の青年の一部がオウム真理教に吸収されていったように、今、西欧社会で生きる意味を見出せない若者が「イスラム国」に流れてゆく。20年前と今では、社会状況は違いますが、これら2つの現象の根底には、基本的には共通するテーマが横たわっているのでしょうか? 
20年前、村上さんが指摘されていた、一人ひとりが新しい自分の物語を見出せない、逆に言えば、それを社会が提供しえていないという問題が、今、世界を震撼させている事件の背景にも存在しているのでしょうか? 
(匿名希望、男性、53歳、会社員)

とても重い問題なので、簡単に意味づけることはむずかしいと思います。でも若い人々が世界の混沌の中で、あるいは社会の矛盾の中で、より確固としたわかりやすい枠組み(フレーム)を求めていることは確かだと思います。オウムやイスラム国は、彼らにそれを与えます。そこには混沌や矛盾はありません。とてもすっきりとしています。でもだからこそ危険きわまりないのです。

我々小説家がやっていることは、逆に混沌や矛盾を排することなく、むしろそれらを材料にしてフレームを作っていくことです。その混沌や矛盾に、僕らの身体と心をうまく同化させていくことです。そういうものなしに僕らは生きていけないのだという事実を、人々に知らせることです。その作業を僕らは「物語作り」と呼びます。

村上春樹拝