やはり名古屋は魔都なのか

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』拝読しました。名古屋出身の僕としては、他の作品以上に特別感慨深い作品でした。
ところで、名古屋人は一生名古屋で暮らすか、一度名古屋から出ると二度と戻らないタイプに分かれるそうです。僕の中高の友人達のおそらく半分以上が名古屋を離れました。そして名古屋に戻った友人は一人もいません。僕も後者です。多崎くんも後者ですね。
この作品は名古屋の人間でなければ分からないニュアンスがちりばめられていて、嬉しいような、やはり名古屋は魔都なのか? と複雑な思いでしたが、名古屋を離れた今でも結局のところは名古屋人である自分を認識できました。
村上さんは、こんな名古屋人の気質を意識してこの作品を書かれたのでしょうか? 
周りに生粋の名古屋人がウジャウジャといらっしゃるのでしょうか? 
(時音詩音、男性、45歳、会社員)

僕は「東京するめクラブ」の取材でしばらく名古屋に滞在していたんですが、名古屋というのは住み心地はとても良さそうだし、楽しい部分もたくさんあるんだけれど、そこには不思議に何か焦点を欠いたところがあって、それがある種の哀しみのようなものを僕に感じさせるのかもしれないと、ふと感じました。とても興味深い都市です。だから『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を書いたとき、名古屋を舞台にしたのかもしれません。名古屋ってあの話の舞台としてわりにあってますよね? 

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を書いている間、あたかも自分が名古屋出身者であるかのような気持ちになっていました。ほんとに。昔、ジョン・F・ケネディ大統領がベルリンを訪れたとき、壁の前で「私は一人のベルリン市民だ(Ich bin ein Berliner)」と演説しましたが、僕もあの小説を書いているあいだは「一人の名古屋市民」だったかもしれません。

村上春樹拝