『海辺のカフカ』の「入り口の石」とは……

村上先生、こんにちは。私は村上先生の短編集と初代のウォークマンを持ち歩いていた昔のおしゃれな女の子です。新潮社の質問本を読むたびに「みんな、質問できていいなー」と、ずっと思っていたので、今回質問できて、とてもうれしいです。質問は『海辺のカフカ』についてです。

私は海外のキリスト教の学校で働いているのですが、キリスト教徒ではないため、キリスト教の教養講座を受けなければならず、聖書の勉強会に参加していました。

4つの福音書の違いを知ろうということで、「キリストの墓石がひっくり返されていた」という部分を読み比べていました。神父さんが英語で読んで行って、私は手元で日本語のノートを取っていました。

終わってから、自分で書いたノートを見てびっくりしました。「墓の入り口、石、若い男」と書いてあったからです。「ひっくり返された石は墓石ではなく、入り口の石だったんだ。だったら、この若い男(天使)は星野君?!」「だったら、入り口から出ていったカフカ君はキリスト様?!」

村上先生、「入り口の石」というのは、どこから得られた発想なのでしょうか。また、英語圏の村上先生のファンが「入り口の石」と聞いたら、「おー」と聖書を連想しているものなのでしょうか。
(ジョンとヨーコを丸善で目撃した猫、女性、61歳、教師)

僕も初代のウォークマンをもっていましたよ。画期的な製品だったですね。しかしあれを腕に巻いて走るのはたいへんでした。それに比べたらiPodはまったく楽なものです。あっという間に世の中は変わってしまいますね。

僕が『海辺のカフカ』で「入り口の石」を書いたとき、その聖書の話のことはぜんぜん考えませんでした。思いつきもしなかった。ただそのときにふと、石のことが頭に浮かんできて、それを書いただけです。でもたぶん世界中に、何かしらそういう共通した話があるんでしょうね。底の方でいろんなことが通じ合っているというか。だからこそ世界中の人々は、文化や言語の差はあれ、ひとつの物語を自然に共有することができるんです。「おお、これはわかる」と膝を打つことができます。それがたぶん小説の素晴らしさです。

村上春樹拝