ハイドンに対する考えが180度変わった

クラシック音楽が好きなおじさんからです。
村上さんの小説などに多くクラシック音楽が鳴っています。自分が知らない曲などは特に興味津々になります。最近でいうと、『1Q84』の枕のヤナーチェクのシンフォニエッタは私は勝手に音楽を想像してページを繰りました。
さて、本題に入りましょう。『海辺のカフカ』でトラック運転手が名曲喫茶らしき店のオーナーから、ハイドンの薀蓄を傾けるシーンがありました。この件は私のハイドンに対する見方を180度転換させました。どの文言かと言うと“近代的自我への秘められた憧憬”“求心的かつ執拗な精神”こんなハイドン評は寡聞にして目にしたことがありません。
私は、ハイドンは余り聞くことがない作曲家ですが、それでも彼の「オラトリオ 四季」など聞いていると無上の幸福感が押し寄せてきます。
人はそれぞれに愛聴盤を持っていればよい、と村上さんはどこかに書いていますが、村上さんはどこにこのハイドンへの関心を持ったのか、さらに又文中「求心的云々」の箇所をもう少し星野青年に語るように教えていただけませんか。
(信濃のものぐさ太郎、男性、65歳、無職)

それはあくまでその店の主人の意見であって、僕の意見ではありません。その主人はわりに独自の見解を持っておられるのだと思います。

でもまあ、僕もそれにわりに近い感覚を持ってハイドンを聴いているかもしれません。ハイドンって、古典音楽の典型みたいに言われることが多いですが、よく聴くと意外にラディカルなところがあります。理系っぽいというか。モーツァルトの同種の音楽と聴き比べると、その「理系の魂」みたいなのが、わりにくっきりと見えてきます。モーツァルトのような神がかり的な深みはないんだけど、構築性への執拗なまでのこだわりが、しばしば僕らにポストモダンな快感をぐいぐいと与えてくれます。もちろん演奏にもよるんですけどね。

グレン・グールドが1958年に録音したハイドンのピアノ・ソナタ変ホ長調(Hob.XVI:49)をお聴きになったことはありますか? とても面白い、鮮やかなハイドンです。

村上春樹拝