メールの交流が拷問になってませんか

連日のご返答、お疲れさまです。
ここ数日の交流、大変楽しく拝見させて頂いてます。
さて、質問ということですが、村上さんはこの交流サイトをどのようなお気持ちでされているのか、と少し気になったもので質問させて頂きます。
僕(僕たち)はこのような交流に大変感謝をしているのですが、村上さんは寄せられたたくさんのメールを読むことや、返事を書くことにたいして、いくばくかの「愉しみ」みたいなものを見いだされているでしょうか? 
それともある意味の義務感みたいなものを持たれてるのでしょうか? 
出版社のかたに、せっつかれて拷問のようなものになっていないことを願うばかりですが……。
それでは、どうぞお体ご自愛ください。
これからも楽しみにしています。
(macx、男性、36歳、自由業)

僕はこのようなやりとりを出版社に頼まれてやっているわけではありません。むしろ僕が頼んでやってもらっているようなものです。僕としては、ときどきこうして読者の皆さんとメッセージのやりとりをしたくなるんです。ただ、まさかこんなにたくさんのメールが来るとは思わなかったので。かなり手間取っていますが、基本的には楽しくやっております。

でもね、こういうやりとりって、数が多いほどいいんです。英語で言うBULK (大きな嵩)が必要なことってあります。BULKがあって初めて見えてくるものがあります。たとえば百通のメールのやりとりを通して、僕という人間を適当に偽ることは、それほどむずかしいことではありません。何かのふりをしたり、格好をつけてごまかしたりすることはできます。でもそれがたとえば五千通ともなれば、僕はもう僕という人間以外のなにものにもなれません。うまく偽装する余裕なんてなくなってしまいます。してもばれてしまいます。僕がBULKが大事だというのはそういう意味です。逆の言い方をすれば、僕はこういう生身の人間なんだということを、みなさんにある程度知ってもらいたいのかもしれない。そういう気持ちもあるような気がします。

しかしそれにしてもちょっと数が多すぎますよね。いくらなんでも……というか。

村上春樹拝