語り継がれる「物語」と小説家の「物語」

村上さん、こんにちは! 一度だけにしようと思っていたのですが、やっぱり気になるのでもう一つだけ質問させてください。
小説家が、個人として作る小説としての「物語」と、神話や民話、伝説などのように人々によって長い年月語り継がれ(ときに変化し)てきた「物語」には、どのような重要な違いがあると考えますか? 
また、本来なら後者の「物語」にしか持ちえない性質を、ご自身の小説にとりいれようとすることは、村上さんにとって大切なことですか? 
『雑文集』の「小説を書くということ」の章がとても好きなのですが、このふたつの種類の「物語」の違いについて村上さんはどう考えていらっしゃるのか気になっていました。

P.S.
質問とは関係のないことですが、無事にニューヨークにつきました。相変わらずドーナツを食べています。しあわせです。今日の村上さんにもドーナツひとつぶんのしあわせがありますように。
(ちひろ、女性、24歳、学生)

エリア・カザンに「ブルックリン横丁(A Tree Grows in Brooklyn)」という古い映画があります。主人公の12歳くらいの女の子が、学校の先生に物語について教わるところがあります。先生は彼女に言います。「真実を伝えるために必要な嘘があります。それは嘘ではなく、物語と呼ばれます」。細かい台詞は忘れたけど、たしかそんなだったと思います。その女の子はそれを聞いて「私は作家になろう」と決心します。僕がとても好きなシーンです。

古代においては、神話的物語は生活に密着したアクチュアルなものとしてありました。人々の上部意識と下部意識は当時、まだはっきりと分別されてはいませんでした。しかし現代ではそれはおおむね「神話性」と「物語性」という二つのかたちに分割されてしまっています。でも我々はまだ、努力すれば地下に降りていって、「神話性」と「物語性」がひとつに溶け合っている世界に足を踏み入れることができます。そしてその世界の有り様を小説というかたちに転換していくことができます。小説家といわれる人はそのようにして「真実を伝えるために必要な嘘」をリアルに立ち上げていくことができるのです。

村上春樹拝