生徒指導を任された高校教師2年目の悩み

村上さん、こんばんは。
私は村上さんのファンです。今回こんなサイトを見つけて、興奮してしまい、日ごろなんだかなぁと思っていたことを相談させていただこうとキーボードをたたいています。
私は高校教師二年目になるのですが、昨年度から生徒指導部に所属しています。最初は生徒指導部がすごく嫌でした。正直生徒のスカートが短かろうが、髪型が奇抜であろうがどうでもいいと思っていたし、生徒指導の先生たちがひどく偉そうにしているのも嫌でした。
しかしそんな私もすぐに自分の勤務している高校のスタイルに慣れていきました。生徒の中には素行が悪く、このまま社会に出てはまずいと思われる生徒が何人かいるのです。そのため、生徒が悪さをしたときにはプライドがへし折れるほどきつく叱ります。それこそが教育だと多くの教員が思っているし、確かにどうにかしなければいけないのです。しかし客観的にみれば二年目の今の私は、大学卒業したての私が思っていた偉そうな教師です。
私はこのままでいいのでしょうか。「生徒をよくするため」という一方的な大義名分のもと、かれらのプライドをへし折り、抑圧することは許されるのでしょうか。私はたまに村上さんの比喩を借りれば、自分(たち)を「壁」、生徒が「卵」なのではないかと考えてしまいます。これだけでも十分恐ろしいのですが、さらに恐ろしいのは、日に日にこのような迷いが私の心から薄れていくことです。自分たちのやっていることに慣れてしまうのです。たとえ誰かから非難されても、外の人(村上さんも含みます)が何と言おうと、かれらは分かっていないだけだ、なんて言ってしまいそうなのです。現に多くの教師はそう言います。私は、まだ染まりきっていないうちに、村上さんの意見が聞きたいのです。生徒指導、もっと大きく、教師とはどうあるべきなのでしょうか。村上さんはどうお考えですか? 
(くりた、男性、24歳、高校教師)

僕は組織というものがあまり好きでないうえに、父親が教師をしていて、そういう「教師性」に対して強く反撥していた人間ですので、あなたの質問に答える資格があるのかどうか、よくわかりません。だから僕の言うことはある程度割り引いて聞いてほしいのですが、僕は学校とは基本的に勉強(学問)を教えるところであって、生活を指導する場所ではないと考えています。その二つを同時にやれというのは、教師にとってもずいぶん過重労働でしょう。もちろん生徒をしつけなくてはならないというのは教育者としてのひとつの考え方でしょうが、そんなことをしていたら学校生活は細かい規則だらけになってしまいます。そしてその規則を守らせるために、多大なエネルギーが費やされます。僕はそのおかげで学校がどうしても好きになれなかったし、それはお互いにとって不幸な事態だと思っています。どうしてわざわざ学校をそんな不快きわまりない場所にしなくてはならないのでしょう? 教育の本質はそういうところにはないはずだと思うのですが。

もちろん僕がそんなことを言うと、「外部の人間は何も知らないで、なんとでも気楽なことを言える」ということになるのでしょうが、とにかくそれが僕の率直な意見です。率直な意見が求められていると思ったので、率直に思うところを述べました。ご理解ください。

村上春樹拝