文学的焦点はいつ定まったのでしょうか

村上さん、こんにちは。
僕は今33歳ですが、30歳になるまでミュージシャンに割と真剣になりたいと考えていました。僕は音楽を愛していますし、音楽という芸術のカタチに対して畏敬の念すら持っています。だからと言ってはおかしいのですが、僕は自分がなぜミュージシャンになれなかったのか良く理解出来ずにいました。
勿論、具体的な理由は幾つでも思いつきます。音楽活動に本腰を入れられなかったとか、歌が下手くそだったとか……。
でも僕は、なぜこんなに音楽を愛する自分がそれらの障害を乗り越えられなかったのかが理解できず、ずっと自己嫌悪に陥ってクヨクヨしていました。
しかし時間が経って、過去の自分と他のミュージシャンを俯瞰してみると一つの仮説のようなものが自分の中に湧いてきました。
それは、純粋な愛情ゆえに音楽の全貌を知ろうとし過ぎて、自分という枠に収まりきらなくなってしまっていたのではないか、ということでした。
簡単に言うと、一つでも多くの良い音楽を理解したいという欲望が強過ぎて、自分のスタイルや好きなものはこれだ! というものが見えなくなってしまっていたのだと思います。
このような音楽的散漫さを僕は自分の中で消化しきれず、音楽的焦点をフォーカス出来ずにいたんだと思います。
結局、何者でもない自分に自信が持てずアクセルを踏み込めなかったヘナチョコドリーマーだったんだと思います。
でもなんか、好きだからこそ遠ざかって行く元恋人みたいで不公平だなぁ、なんて感じたりもします。

前置きが長くなり過ぎましたが、ここで質問です。
村上さんは、文学的焦点のようなものは始めから迷いなく定まっていたのでしょうか? それとも試行錯誤の末得たものなのでしょうか? 

僕にとっては切実な質問なので答えて頂けるととても嬉しいです。
(リョウコーセキ、男性、33歳、自由業)

僕は自分には限られた能力しかないと思っていたので(文章修行みたいなことをまったくしなかったので)、とにかく自分の持っている限られた能力をフルに活用して、なんとか小説をひとつこしらえようとしました。だから余計な方に目がいかなかった、ということになるかもしれません。偉そうなことは抜きで、気取りはなしで、自分にできることだけを全力でやりました。そのやり方が、僕のオリジナリティーみたいなものとして、それなりにうまく機能したのではないかという気がします。そこにあったのは「文学的焦点」というよりは、「これだけしかないんだから、しょうがねえだろう」みたいな開き直りだったかもしれません。つまり『風の歌を聴け』って、「これだけしかないんだから、しょうがねえだろう」宣言だったのかもしれません。そう考えると、いろんなことがすっきりするような気がします。

もちろんこれは僕の推測に過ぎませんが、あなたの場合はある程度能力が具わっていたので、いろんなことができすぎたんじゃないでしょうか? 僕の場合はとにかく「一点突破」しか道がなかったんです。でもまだ遅くはないですよ。がんばっていつかもう一度挑戦してみたら? 

村上春樹拝