使いなれた言語に揺さぶりをかける

こんにちは。2年前に大阪から東京へ引越ししました。大阪と京都にしか住んだことがなかった私にとって、大阪弁を東京弁に翻訳することは、日本語を「縦のものを斜めにする」ようだと感じております。
村上さんは以前何かのインタビューで「もし東京へ来なければ小説家になれていなかったと思う」と言っておられたように記憶しています。対して谷崎潤一郎氏は阪神間へ引越してから「東京に住んでいた頃の自分の作品は、今ではもう自分の作品だとは認めたくない」とおっしゃっていたそうです。これは一見正反対のように読み取れます。しかし実は、生まれ育った土地とは違うアクセント、リズムの日本語に日常的に接することにより日本語力が鍛えられ、さらに良い文章が書けるようになるということなのかな、と考えました。
村上さんはどうお考えでしょうか。
(白猫ひみこ、女性、43歳)

僕の場合は、日常言語を東京の言葉に転換することによって、自分の思考・感覚を「よりニュートラルな言語システム」にのっけていけるということだったんですが、谷崎先生の場合はどうなんでしょうね。思考・感覚を「よりカラフルな言語システム」にのっけていけるということだったのでしょうか。いずれにせよ、自分が日頃使い慣れた言語に揺さぶりをかけるのは、作家にとってとても有効な作業であると思います。海外に住んでも同じような影響を外国語から受けることがあります。

村上春樹拝