翻訳は時代とともに更新されるべきなのか

おばんです。
村上さんにちょっと質問です。
数年前、大学の学園祭に柴田元幸さんがいらっしゃいました(『サリンジャー戦記』にサインを頂きました)。
その際も質問したのですが、翻訳のアップデートの意義とは何なのでしょうか。
例えば、古い訳語の更新とするならば、同時に本編の方のアップデートも必要になるのでは、と思います。しかし、例えば夏目漱石の純粋なアップデートって無いですよね。新たな翻訳を重ねたアップデート版の文学的な価値は変わるものなのでしょうか。
柴田さんは、原理的に確実な間違いのない翻訳は無いのだから、と答えていた様に思います。
村上さんが翻訳する際に気をつけることは何でしょうか。そして、その際は定訳となっている日本語版は気にかけますか。教えてください。
(jiro_hisa、男性、26歳)

オリジナル・テキストのアップデートは不要です。それは時代性を含んで成立しているものですから。言葉が古くなっても、表現が古くなっても、事情がかわっても、人の考え方が変わっても、それは普遍のオリジナルとして、永遠の定点として存在します。それが芸術というものです。

しかし翻訳は時代とともに更新されていく必要があります。なぜなら翻訳は芸術ではないからです。それは技術であり、芸術を運ぶためのヴィークル=乗り物です。乗り物はより効率的で、よりわかりやすく、より時代の要請に添ったものでなくてはなりません。たとえば古い言葉は更新されなくてはなりませんし、表現はより理解しやすいものに変更されなくてはなりません。それから、以前にはわかりにくかった様々な情報が、今ではわかるようになったということもあります。

例をひとつあげますと、フィッツジェラルドの某長編小説の旧訳に「フランス大旅行団」という言葉が出てきました。目の前を「フランス大旅行団」が通り過ぎていく。僕はこの「フランス大旅行団」が何のことだかわからなくて原文をあたってみたのですが、なんとこれが「Tour de France」なんですね。ツール・ド・フランス、もちろん自転車レースです。ツール・ド・フランスの車列が目の前を通り過ぎていったのです。この翻訳がなされた当時の日本では、ツール・ド・フランスが何かを知る人はあまりいなかったのでしょう。だから翻訳者は適当に想像して「フランス大旅行団」と訳してしまった。今ならまずあり得ない間違いです。

チャンドラーの古い訳書に、グレープフルーツを「アメリカざぼん」、ブラジャーを「乳バンド」と訳しているものもありました。これはいくらなんでも更新しないとまずいですよね。そういうことが他にもたくさんあります。

優れたオリジナル作品は古びませんが、翻訳は古びます。どんな翻訳だって、多かれ少なかれ古びます。僕の翻訳だっていつか古びます。翻訳は原理的に更新されることが必要なのです。

村上春樹拝