JAZZと文学を愛した父と、放浪の晩年

村上さんにちょっと話したいこと。
(短くしたいけどできませんでした、後回しでいいのでお時間ある時に読んでいただければ嬉しいです)。
去年66歳で肺癌で死んだ私の父のことです。
父は村上さんと同じ年代で、JAZZ狂で、アメリカ文学が好きで、何事にもこだわりの強い厄介な人で、私はいつも、そんな父と同じ年代の雰囲気を持つ村上さんに個人的な親近感を勝手に感じていました。
私は村上さんの文章を見つけると片っ端から読んできましたが、「そういえば父もそんなこと言ってたな」「ああ父も聴いてたな」「父も読んでたな」と思うことがいっぱいありました。
父は定年を間近にどこか常識のタガが外れてしまった様になって、トロンボーンを持ってニューオリンズに飛んで行ってしまいました。
愛してやまない音楽の土地で、ストリートミュージシャン達とトロンボーンを吹いているとのことでした。
近くにいれば周りに気苦労ばかりかける父だったので、私も母も、やっと好きなことを思いっきりしてるならいいと放っておきました。
数年して放浪から帰ってきた時にはもう肺癌末期で、3ヶ月で死んでしまいました。
父を看取る時、散々傷付け合ってきた父を許すことができました。
そして感謝の気持ちでいっぱいになりました。
人は死ぬ時に、その矛盾に満ちた人生、良いとこ悪いとこあいまった人生の真価が解るのかもしれないと思いました。
父が残したたくさんの文章の中に、村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を、その“訳者のあとがき”と共に絶賛したものがあり、私の中での“村上春樹”と、父にとっての同世代的シンパシーの対象である“村上春樹”みたいなのが出会うべくして出会いました。

父は生きながらに自分の存在を消していきました。
所有物も、人間関係も、ある時期から処分し始め、死ぬ時には殆ど切れて離れていました(2千枚強のレコードだけは全部残っています)。
昔はいっぱいあった本や雑誌も全部処分しましたが、(スイングジャーナル等。スウィングビート?は残してました)それでも本棚にはフィッツジェラルドの作品だけは残していました。
きっと映画好きな私に残したのだろうと思っています。
これからも私は、父の書棚にあるフィッツジェラルドやカポーティやレイモンド・チャンドラーを村上さんを想いながら読み、そして村上さんの本を、父の思い出と共に読むことになるでしょう。
父の愛したJAZZと共に。
ありがとう村上さん。
(個人的な話でスミマセン)
(マルコ、女性、37歳)

そうですか。トロンボーンを下げてはるばるニューオリンズまで行っちゃったんだ。すごいというか、カラフルというか、わりにとんでもないお父さんですね。ご家族からすれば、ずいぶんな「迷惑親父」だったかもしれませんが、それだけ人生を満喫されれば、本人にしてみれば楽しい生涯だったのではないでしょうか。三ヶ月の闘病生活についてはご苦労も多かったと推測しますが、最後にお父さんを受け入れることができてよかった。ユニークなお父さんのことを長く覚えていてあげてください。

村上春樹拝