信頼するけれど、信用しない

村上さん、こんにちは。
私は弁護士を目指し勉強中です。
人は善であると信じているのが私の基本的なスタンスです。もちろん、人間ですから善いことも悪いことも行うでしょう。しかし、できるだけ善の部分があると信じて、善の部分を見つけていきたいと思っています。
ところが、法科大学院の授業で、ある弁護士の教員に弁護士は人を疑うところから始めなさいと教えられました。もちろん、弁護士という立場での話だとは思います。しかし、たとえそうだとしても、私はいまいち納得できませんでした。何かに困って相談に来ている人や逮捕されている被疑者に対して、疑うところからスタートしては弁護士の意味があるのだろうかと思ってしまいます。
村上さんはどう思われますか。
(おもも、女性、37歳、主婦・司法試験浪人生)

長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下の選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。弁護士にもそういうスタンスは大事だと思います。依頼人はもちろん信頼しなくてはなりません。しかし依頼人の言うことを細かいところまでそっくり真に受けていたら、裁判できっと痛い目に遭うことになると思いますよ。法律の世界では実証がなにより大事です。その先生はきっとそういうことをおっしゃりたかったのだと僕は推測しますが。

村上春樹拝