物語がすーっと沁み込んでくる

私がはじめてハルキさんの本に出会ったのは高校生の時でしたが、そのときは残念ながらすれ違い、ハルキさんとの再会は社会人になってからでした。私はハルキさんの虜になりました。その頃、入社3年目でしたが仕事にやりがいを感じることができず、このままで私の人生はいいのだろうかと真剣に悩んでいた時期でした。そんな時、やり場のない私の心にハルキさんの物語がすーっと沁み込んできました。通勤の電車の中、仕事の移動途中、ずっとハルキさんの本を携え、かたっぱしから読み耽りました。物語の世界に没頭し、ある意味逃避行していた日々を思い出します。心が弱っていたときに、物語の世界に触れ、その世界に埋もれることで私の心は救われました。

友人に「村上春樹」ってよくわからないとか言われることがありますが、私にとってはわかるとか、どういう意味かとか考えて読んでいるのではなく、うまく説明できないのですが自分の中に入ってくる、沁み込んでくるような感じなのです。

同時代に生きて、リアルタイムで本を手にできることに喜びを感じています。
長編・短編小説はもちろん、エッセイも大好きです。

できれば、一度でいいのでお目にかかって、感謝の気持ちを直接お伝えしたいのですが、日本ではサイン会は開催されないとのこと、残念です……。
運よくプライベートのハルキさんにバッタリ出会う機会に恵まれたとしたら、そっとしておいてほしいとおっしゃっているのは重々承知ですが、やはり声をかけてみたい……。
もしも、今日なら声かけられてもいいかな? って気分の日があったら何かサインを決めてもらえると嬉しいです。
(ムサビー、女性、42歳、会社員)

そうですね。小説って、音楽とか絵とかと同じだと僕は思うんです。大事なのは、わかったとかわからないとかじゃなくて、それが身体に沁みるかどうかということなんじゃないかなと。「うん、よくわかった」と思って、読み終えて一週間たったらみんなすっかり忘れていた、というんじゃ意味ないですよね。わかったかわからないか、それもよくわからないけど、十年たってもなんかよく覚えている、というような小説を僕としては書きたいです。

この前も同じようなことを書いたんですが、心が弱っているとき、あるいは落ち込んでいるとき、僕の小説を「避難所にして充電場所」として使っていただけると、僕としてはとても嬉しいです。それも小説というものの大事な役目ですから。逃げ込むだけでは足りないんですよね。そこからエネルギーを受け取る必要があります。

それに比べたら、サインなんてただの紙の汚れみたいなものだと僕は思うんですが、そうでもないのかな?

村上春樹拝