カルト教団に向かった彼らの「物語」

世代論というのが可能かどうかわかりませんが、村上さんは、オウム真理教による地下鉄サリン事件の実行犯の世代(大体、現在の40代前半から50代後半)をどのような世代ととらえられますか。私はこの世代に該当しますが、事件の公判が行われるたびに、何か責任のようなものを感じています。せめてどうして私達の世代があのような社会的事件を起こしてしまったのか理解したいと思っています。

当時、有名私立大学を出た医師など、優秀な若者がなぜカルト教団に入ったのだろうかと問題になりました。私もそのような大学の1つに通う学生でしたので、哲学の教授から「あなたたちにはカルト教団に入った人の気持ちがわかるか」と尋ねられたのを覚えています。

同じ時代の空気を吸っていたとはいえ、私には全く見当がつかず、絶対的なことを言ってくれる誰かに自分の判断を委ねたいと思ったこともありませんでした。

しかし、時代の流れとして、若者がカルト教団に向かう、あるいはマインドコントロールを受けやすい時期にあったのではないかと思われます。村上さんは大勢の関係者にインタビューなさいましたが、とりわけ何か感じられたことはありましたか。
(パンケーキ浜口、女性、43歳、OL)

僕は「世代論」というのが昔からもうひとつ好きではなくて、そういう括り方はできるだけしないように心がけてきました。僕自身も「団塊の世代は暑苦しい」みたいな言われ方は、簡単にされたくありませんので。ひとつの世代の中にもいろんな人はいますよね。みんなが同じようなことを考えているわけではありません。

ただオウム真理教の信者・元信者の人たちをインタビューしてきて、ひとつ思ったのは「ノストラダムスの予言」に影響された人がけっこう多かったということでした。その世代の人たちがいちばん感じやすい十代のころに、「ノストラダムスの予言」についての本が大ベストセラーになりました。そしてテレビなんかでも盛んに取り上げられました。1999年に世界は破滅するという例の予言です。そのおかげで「終末」という観念が、彼らの意識に強くすり込まれてしまった。

つまり彼らには「世界には終末があり、それはそれほど遠くない将来に訪れるだろう」という、世界のあり方についての「物語性」が自然に植え付けられてしまったということです。少なくとも僕がインタビューしたオウム真理教の信者・元信者の人たちについては、おおむねそういうことが言えました。だから麻原彰晃の説く終末論(ハルマゲドン)がすんなりと抵抗なく受け入れられたのでしょう。そこにはまた「スプーン曲げ」に代表される、「超能力」に対する憧れ・信仰のようなものもありました(そこにもまたテレビの影響が見られます)。

僕自身も「物語性」を提供するものの一人として、『アンダーグラウンド』の取材をしながら、物語の大事さを痛感させられました。悪しき物語を凌駕する善き物語を作っていかなくてはならない。それがそのときに僕の感じたことでした。もちろん何が悪しき物語であり、何が善き物語であるかというのは、とても判断がむずかしい問題なのですが。

村上春樹拝