ランナーの谷口さんと金井さんの死

前略 申し訳ありません。村上さんの著作を読んだことがありません。川崎北高校の50歳になる卒業生の集いに呼ばれました。その中に金哲彦さんのマラソン教室に通っている女性がいて、村上さんが谷口先輩のことを書いているのを知っているかと聞かれました。勿論知る由もなく、そのように答えると、宴会の席を飛び出し、『走ることについて語るときに僕の語ること』を買いもどって私に手渡してくれました。こんなことがあるんだと、酔いも冷めんばかりの嬉しさが湧き上がりました。私は高校生の谷口を育て、早稲田大学競走部に送り込んだ張本人です。私自身も競走部出身です。競走部ゴムの会というものがありまして(50年以降の卒業生)、90年6月23日にアジア大会代表決定の祝賀会がありました。金井君はもちろん、谷口も大変喜んでおりました。谷口曰く、「先生、中学の先生も、大学の先生ももうなくなってしまいました。先生は絶対に死なないでくださいね」「そんな話をしてると……」と口元まで出ましたが、不思議なことにその言葉が出ませんでした。後日、祝賀会のスナップ写真が送られてきました。「谷口君、随分薄く映っていない?」とかみさん。いやなことを言うな。というのは、過去に何人かの死をテレビを見ていて言い当てることがあったからです。かみさんが突然私との会話中に黙り込んだら……。谷口の訃報を聞いたのは、湯沢で合宿中のことでした。神奈川新聞社からの電話でした。てっきり、アジア大会についてのコメントでもと思い、明るい声で応対に出たのを覚えています。ここの魚野川?で中村監督が亡くなったと話をしたばかりでした。
何か因縁めいたものを感じました。さて、村上さんが谷口の練習姿を見たことがあるという記述を見て、メールを送らせてもらいました。祝賀会の写真がありますので、送らせてもらおうと思いましたが、どちらへ送付してよいかわかりません。因みに、薄いと言われた写真だけが行方不明です。作品に関するメールでないことを、重ねてお詫びいたします。これからの活躍も祈念いたします。
(植竹龍治、男性、62歳、高校体育教師)

谷口さんと金井さんが交通事故で亡くなられたことを知ったときにはショックでした。お二人とはいつも、外苑やら東宮御所のまわりを走っているときにすれ違って、挨拶を交わすような関係だったので、僕としても本当に悲しかったです。雨の日には金井さんは、神宮球場の屋根付きの回廊を黙々と周回していました。二人ともこれからという伸び盛りのマラソン・ランナーだったのに、志半ばで逝去されたことを実に残念に思います。谷口さんの弟さんとはよく一緒に駅伝を走りました。彼も元ラグビー部だけあって、なかなか足が速かったです。

村上春樹拝