自分の器は「知る」ものではなく……

はじめまして。私は村上さんの本はほとんど読んでいると思います。そして、新刊が出るたびに買ったばかりの石焼きイモを食べるように、ほくほくした気分で読んでおります。いつもありがとうございます。
質問をいたします。『風の歌を聴け』からこれまで、村上さんは作品を発表されるたびに様々な作家的なチャレンジを重ねてこられていると思います。しかしよく世間では、「自分の器を知ることが大事」という話が聞かれます。身の丈を超えた言動で、精神的に辛くなったり人間関係が悪くなったりするさまを、私自身が経験したこともあり、なるほどその通りという気もします。
村上さんは、かつて「街と、その不確かな壁」の後、その出来に満足せず『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を書かれたと記憶しています。「失敗」とそれを乗り越えることは、実はかなり大変なことだと思いますが、村上さんはどのような心境でチャレンジし続けているのでしょうか。
大変漠然とした質問となってしまいました。申し訳ありません。お返事をいただけるとうれしいです。
(Jun3、男性、31歳)

はじめまして。僕は「街と、その不確かな壁」を失敗作だとは思っていません。それなりによく書けてはいるけど、「何かが足りない」と思っていただけです。その何かが足りないから、これは広く人の心に届く話にはなっていないのだと。だから本にしないでとっておいたんです。そしてその「何か」を見つけ出すまでに数年かかりました。そして大きく書き直しました。そうすることによって、僕は作家としての自分の器を広げられたと思っています。器というのは「知る」ものではなく、自分の力で広げていくものです。僕はそう考えています。新しい小説にとりかかるたびに、自分にひとつ新しい縛りを与えます。この作品ではこの課題をクリアするんだ、と明確な設定をするわけです。そうすることによって、たとえわずかではあれ、器を具体的に広げていくことができます。

そういうことをやっていると、精神的に辛くなったり人間関係が悪くなったりするか? 精神的にとくに辛くはなりませんが、人間関係が向上するようなことはあまり期待しない方が賢明だと思います。

村上春樹拝