文豪になるには?

村上さんには”文豪”と呼べる小説家はいますか?(たぶんいない)

数年前、TVの書評番組で読書をしない人でも、名前だけは知っているであろう人気作家がゲスト出演しました。
司会のNHK女性アナウンサーが「文豪の**さんをご紹介します」と言った時、思わず椅子から転げ落ちそうになりました。

“文豪”といえば私なりの定義のようなものがあり、文学(日本では純を付けますが)、長編を書ける、故人である、死後数十年経ても読み継がれる等々。

大辞林で引くと「非常に優れた文学者、大作家」とのみ。
私にとって文豪の冠を付けて抵抗がないのは……う~ん。

夏目漱石、谷崎潤一郎、ドストエフスキー、ゲーテ? 意外に少ないことに
気づきました。
あと100年は生きられないので、責任は取れませんが春樹さんは文豪には
ならないと思いますから安心して下さい(愛をこめて)。
(暴走老人、女性、67歳、フリーター)

そうですよね。文豪って死んでからせめて半世紀くらいたたないと、そうは呼ばないものですよね。少なくとも生きている作家には普通、使いません。きっとそのアナウンサーに常識が欠けているのだと思います。僕も「文豪」になるつもりはまったくありませんので、どうかご安心ください。文豪になりたかったら、たぶんこんなサイトなんてやってないかもしかです。

しかしヘミングウェイやスコット・フィッツジェラルドや、あるいはフォークナーだってスタインベックだって、「文豪」というのとはちょっと肌合いが違いますよね。川端や太宰だって、あまり文豪という雰囲気ではありません。でも森鷗外は入れてもいいかも。そういう違いはいったいどこから来るのでしょう? 十九世紀的な雰囲気をひきずっているかどうか、ということでしょうか。研究が待たれます。

村上春樹拝