まっとうな含羞を抱えて

初めまして。村上主義者です。書店が大好きなのですが、村上さんの新刊小説の発売後数日だけは、こんなことを言って申し訳ないのですが、嫌いな場所になってしまいます。
店先のワゴンにどっさり積んで、派手なPOPで、店員総出の「村上春樹の新刊◯◯、販売してま~す」(リフレイン)
小説を読む行為とは隠微なものだと思います。発売初日に欲しいけど、もう少し普段通りに、こっそり買えたらいいのに。
村上さんは、待ち焦がれた本を買う時に、含羞というか、気恥ずかしさみたいな感情を抱くことがありますか。
(yamars、女性、46歳、自営業)

そうですね。あなたの気持ちはよくわかります。僕自身もやはり、常に気恥ずかしさとともに生きております。しかし僕らはまた、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義の世界に生きています。そして本を制作し、流通させ、販売するという作業は(それによって作者と読者が結ばれるわけですが)、巨大で冷徹な経済機構の一部に組み込まれています。僕は冗談で「村上春樹インダストリー」と呼んでいますが、ときどき冗談とばかりも言えなくなることもあります。書店がどのようなイベントをおこなおうが、僕個人にはいかんともしがたいことになっています。申し訳ありませんが耐えてください。

ただわかっていただきたいのは、何があろうと僕はどこまでも常に村上春樹という生身の一個人であるということです。僕は「インダストリー」とは無縁なところでひとりぼっちでこつこつと(せつせつと)小説を書いています。それが本というかたちになる時点で、やむを得ずインダストリアルになってしまうということです。しかしそれを読むあなたもまたひとりの生身の個人です。途中で何があったとしても、最終的に僕の生身とあなたの生身とが触れあうことができたとしたら、それはひとつの大事な達成であろうと僕は考えていますが。お互いまっとうな含羞を抱えたまま、この世界を無事に乗り切っていきたいものですね。

村上春樹拝