リアリティをどう考えるか

「僕は書きながらものを考える。考えたことを文章にするのではなく、文章を作りながらものを考える。書くという作業を通して思考を形成していく。書き直すことによって、思索を深めていく。」と書かれていますよね。
私は理系の研究者なのですが、やはり論文を書きながらものを考えるので、書かれていることには共感します。
ただ、文章を書きながら思索を深めてゆくと、ときとして、うわっつらな思索に酔いしれることがあります。文章ではどうとでも書けるからです。血のにじむようなリアリティをもって、どこまで真摯に向き合えるか――。
村上さんはこうした悩みはないのでしょうか? 私は村上さんの小説を読んでいて、ときどき、物語のなかでこういうリアリティを避けているのではないかと思うことがあります。
そして、真摯に向き合ってゆくときに、それが必ずしも読者を楽しませることにつながらないと思うのですが、そこは商業的なことを考えて、楽しませることも意識しておられるのでしょうか? 
こんなこと答えられないですよね。でも、村上さんに一番聞きたいことです。よろしくお願いします。
(博士、男性、39歳、大学教員)

僕はリアリティーというのは固定された、静止的な状況や光景の中にあるのではなく、流動的な動性の中にあると考えています。ですからリアリティーそのものを追究するよりは、それをフェイズからフェイズへと移動させていくことに、その推移の中に文学的な意味を見いだします。つまり、理系の論文とは少し異なったロジックがそこにはあります。決して商業的成功を目指してそのような手法をとっているわけではありません。もしあなたがそのようにお考えになっているとしたら、僕としてはいささか残念に思います。もちろんあなたがどのようにお考えになるかはあなたの自由で、僕がいちいち口を出すべきことではないのですが、いちおうこちらの気持ちとして。

村上春樹拝