翻訳の難関にぶつかったときに思い出す

はじめまして。
翻訳業に携わっている者です。
村上さんはいつも楽しそうに翻訳をなさっているように見えますが、私はときどきどうしても原文の意味がとれなくて、途中で仕事を投げ出したくなるときがあります(さすがに投げ出しはしませんが……)。
村上さんはそんな状況に陥ることはありませんか? 失礼な質問かとは思いますが、お教えいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
(junjunm、女性、46歳、翻訳家)

原文の意味がうまくくみ取れずに困ることはしょっちゅうあります。でも投げ出したいと思ったことは一度もありません。「一生懸命考えれば、意味がわからないわけがない」と信じているからです。高校生のときにモームのエッセイを英語で読みました。そこで「人間の考えることが、人間に理解できないわけがない」という文章に出会いました。翻訳で難関にぶつかるたびにその言葉を思い出します。そして「人間の書いたことなのだから、人間にわからないわけがないんだ」とあらためて思います。実際じっと深く考えていると、だいたい意味はわかってくるものです。

村上春樹拝