そこに美しい仮説はあるけれど

村上さんのご経験から、日本の文学部とアメリカ(海外)の文学部の違いってどんなところにありますか? 文学作品を読んで、それを研究したり、論文にしたりすることにどんな意義があるとお考えでしょうか? また、ひとりの作家として、文学部における文学研究って、どんな風に見えているのでしょうか? お聞かせいただけると幸いです。
(オミピ、男性、41歳)

アメリカの大学生はおおむね論理的に文学を読み、論理的に論文を書きます。少なくとも学校で課題として小説を読むときは、そのように読みます。論理的というか実証的に。それに比べて日本の大学生はどちらかというと情緒的に小説を読む傾向があるようです。実証はさほど求められません。どちらが良いとか悪いとかは、一概には言えません。

僕がアメリカの大学のクラスで江藤淳の『成熟と喪失』を読ませたとき、アメリカ人の学生が手をあげて「先生、これは批評じゃありません。ただのエッセイです」と言いました。なるほどねえ、『成熟と喪失』はアメリカ人にとっては批評じゃないんだ、と感心し納得しました。そこには美しい仮説はあるけれど、実証はないから。

村上春樹拝