「死」を選ぶことの意味が変質したのでは?

始めまして、村上さん。
私は韓国で日本文学を勉強しているイ・へインと申します。
自分の実力が足りなくて言うのが少し恥ずかしいですけど、今大学院で村上さんの作品を専攻しています。^^何より村上さんの作品が好きで考える要素が多いから勉強をしています。
少し日本語がおかしい部分があると思いますけど、何卒ご理解お願いします。

私からの質問は簡単なものだと思いますけど、
私が村上さんの作品の中で一番好きな人物は『ノルウェイの森』のキズキ君です。彼が持っている弱さというか、その人間の弱さがすきだからです。私の考えでは昔の作品ではその人間なら誰でも持っている弱さから抜け出すことができないタイプの人物が多かったような気がしますが、最近の作品では少し変化した人物が見えます。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』での多崎さんも始めの様子とだんだん変化するタイプに見えます。しかしですね、私は多崎さんから具体的には言えないですけど、何かあきらめの感覚を感じました。彼が死をあきらめたのは何か死ぬ理由を喪失してしまったような感じがしました。生の意思を探したんじゃなくてその意思さえ喪失してしまったような感じをえました。

私は特に村上さんの作品のなかで頻繁に現れている「自殺」に興味を持っています。本当にいろんな人の自殺が描かれていますね。しかし前言ったようにその行為は段々変わっていくような気がします。個人の内面から生出した悩みが今は自分を越えた場所から生出されたような気がします。「死」を選ぶことで、自分が持っている悩みとかが解決できないとの思いがあるような気もします。「死」の原因とかその動きが変わったように見えます。
村上さんはこれについてどう思いますか? 

今は村上さんの作品を読んで一人でドキドキしながら自分なりに考えをまとめるだけですが、後には専門研究者になり韓国で村上さんの作品が人達にもっと読まれるように役に立つ研究家になりたいです。私の夢ですけどね……少し時間はかかると思いますが、後に真面目な研究者として韓国で村上さんの作品を話せる人になるように頑張りたいです。今は村上さんにこのメールを送るだけでも私の夢に近づいた気がするので嬉しいです。では長い文章お読みくださってありがとうございます。
(イ・へイン、女性、28歳、大学院生)

メールをありがとうございます。僕の小説を細かく読み込んでいただいているようです。

僕は自分の中に、自分の心の奥の方にある物語のようなものをずるずると引き出してきて、日の光にさらし、それを文章にしています。それがいったいどのような意味を持つものであるかまでは、僕にはよくわかりません。それにもし意味があるのだとしたら(たぶんあると思います)、その意味を見いだすのは読者の一人ひとりです。読者の一人ひとりがそうする固有の権利と資格を持っています。僕は「これはこうです」とか「それはそうです」とか「それはちょっと違います」とかは言えません。僕はただの発見者であって、分析家ではありませんから。

ということですので、あなたはあなたの固有の権利と資格を追求してみてください。というわけで、僕の意見は申し上げられません。あなたの権利と資格を侵害したくないので。お役にたてなくてすみません。

村上春樹拝