どのくらい推敲するのでしょうか?

はじめまして。恐縮ですが、質問いたします。

子どもの頃、下宿生活をする年の離れた兄が、溜まったカセットテープや本を実家に持って帰ってくるのが楽しみで、その中に、先生の『回転木馬のデッド・ヒート』がありまして、それを読んだのが、村上作品に触れたはじめてでした。子ども心ながらに、強く惹かれました。その後、様々な距離の置き方をしながら、多数の作品を読ませていただきました。結果、どうしても、読みやすいのは村上作品です。いろいろな名文家もいらっしゃいますが、体感的に、村上作品は、その文自体がとても読みやすいのです。

先天的なセンスの問題もあるかもしれませんが、私の勝手に考えたこととして、もしかすると、ものすごく推敲をなさっているのかと思いました。もちろん、作家は、かなりの推敲をするとは思うのですが、先生はすらりと文を書けるのでしょうか。それとも、素朴(粗野?)なもととなる文があって、それを精錬させていくのでしょうか。

なんともセンスのないまとまりのない文面で恐縮ですが、この歳で、のらりくらりと新人賞に応募している者です。
もしもご返答いただきましたなら、糧にいたします。
(リリス、女性、36歳)

推敲は僕の最大の趣味です。やっていて、こんな楽しいことはありません。推敲ができるから、小説を書いているようなものです。最初はだいたい流れのままにさっと書いてしまって、あとからしっかりと手を入れていきます。最初からみっちり書いていこうとすると、流れに乗ることがむずかしくなるので。推敲にとってもっとも大事なのは、親切心です。読者に対する親切心(サービス心ではなく親切心です)。それを失ったら、小説を書く意味なんてないんじゃないかと僕は思っているのですが。

村上春樹拝