60年代的命題の光芒

村上さん、こんにちは。文学が大好きで、文学の力を大切に思っている者です。
目の前で死のうとしている人に、文学は何ができると思いますか。
お腹がすいて倒れている人に、文学は何ができると思いますか。
大学で文学研究をやっていた時に、友人に聞かれたこの問いを、ずっと未だに考え続けています。
(かえる、女性、45歳、会社員)

1960年代後半に、そういう命題についての議論がけっこう流行りました。そうか、まだそれが生き延びていたんだ。飢えた子供の前で文学は有効か、とか。なんだか懐かしいな。

でも、そういう命題の設定そのものにちょっと無理があるんじゃないか、と僕は思うんです。そんなことを言い出したら、「飢えた子供の前で****に何ができるんだ?」みたいな話ばかりになってしまいます。じっさい飢えた子供の前に僕が本を差し出しても、何の役にも立ちません。当然な話です。モーツァルトだって、ゴッホだってたぶん役に立ちません。いくら美しくても、お腹の足しにはなりませんから。でも文学が役に立つ場所はこの世界に確実にあります。モーツァルトだって、ゴッホだって、それが役に立つ場所はもちろんしっかりあります。だからこそそれらは時の試練を乗り越えて残っているのです。

「白か黒か?」みたいな命題はいかにもかっこいいですが(1960年代的?)、それはいろんな状況を単純化し過ぎます。そういうところからばかりものを見ていると、現実がバランスを失い、どんどん一方に偏っていきます。たとえば「だから作家は机を離れて、アフリカに行って難民救助にあたるべきだ」みたいなことになりかねません。それはひとつの考え方ではあるけど、すべてではありませんよね。一歩引いて静かにものを考える訓練が、知性にとっては必要になります。

村上春樹拝