昔は呼吸をするように読めたのに

はじめまして。村上さんの『ノルウェイの森』を高校生の時に読んで、それ以来ずっとその小説が自分の中で一番となっています。あの時に出会って、良かったなと今でもつくづく思います。村上さん、この本を書いて下さって本当にありがとうございました。
ところが、最近(といってもここ1年)『ノルウェイの森』を読み返してみても、昔のようにまるで呼吸をするようには読めません。自分の中の変化に戸惑っています。
何故昔のように読めないのか、明確にはわかりません。今日もご飯が美味しいと感じられるなら、それくらいの事は些細な話だと自分を笑い飛ばそうと思う反面、18歳の私は、どうやって人を愛したり、愛されたりしたら良いのかわからなくて怖がっていて、今でもその気持ちは程度の差こそあれ同じはずなのに、同じようにこの小説に接する事が出来ない事実に、少なからず戸惑いと不安を感じます。大切なことを置き忘れてきているのではないかと思ってしまいます。
P.S.
『走ることについて語るときに僕の語ること』この本も私の大好きな本ですが、生きるための一つの方法論のようなものはここから学びました。昔、「レプタイル」を聴きながら、早朝ジョギングをした事もありました。
(侘助、女性、23歳、学生)

エリック・クラプトンのアルバムの「レプタイル」ですよね。僕もよくあれを聴きながら走っていました。Broken Downという曲がとくに好きです。あの歌詞を聴いていると、「なんかもう、どうだっていいや」という開き直った気になってきます。

そういえば少し前に『走ることについて語るときに僕の語ること』のイタリア語版をイタリアの首相(もう替わったんだっけ?)が読んでいて、それが話題になりました。議会で首相が鞄を開けたら、中にその本が入っていて、それがテレビに映ってしまった。審議中にこっそり読んでいたりするんじゃないですよね。それからエルサレムの市長もマラソン・ランナーで、あの本を読んでくれたということでした。ランナーどうしだと、けっこう話が弾みます。政治家にもランナーが増えているみたいです。

小説というのは読む時代、年齢によって微妙に印象が変わっていくものです。僕の書く小説の方もどんどん変化しています。よかったら別の本を試してみてください。

村上春樹拝