あの大失敗をうまく意味づけできなくて

はじめまして。『中国行きのスロウ・ボート』が一番好きなオールドファンです。
今年は阪神・淡路大震災から20年目となります。私は村上さんともゆかりの深い西宮市の出身で、震災では実家が被害を受けました。

震災の後、村上さんが朗読会を開催されることを知り、さっそくチケットを取りました。そして、当日、住まいのある京都から一人で出かけたのですが、阪急電車で三宮に向かっている最中にチケットを忘れたことに気づきました。取りに帰る時間は無く、かといって諦めきれず、結局、会場まで行って当日券があるかどうか尋ねたのですが、当然あるわけもなく、すごすご帰ってきました。村上さんの姿を直接目にする機会はほとんどないので大変楽しみにしていたので、大ショックでした。私の人生の中でチケットを忘れるという経験はそれまでになく、それからもありません。

このことは今もトラウマになっています。私は「どんなことであれ、起きたことには何らかの意味がある」という考えで、これまで様々なトラブルを乗り越えてきましたが、この一件だけは、どうしてもうまく意味づけできません。震災で被害を受けた人たちの苦労に比べれば、些細なことではあるというのは十分承知しているのですが……。村上さんなら、どのように自分を納得させますか。
(月の猫、男性、51歳、会社員)

それはとてもお気の毒でした。せっかく京都から見えたのに、チケットを忘れちゃう……というのはかなりのドジですよ。でもそこには何かしらの意味があったのかもしれませんね。そう思ってあきらめてください。以前、坪内逍遥賞を受けたとき、会場で川上未映子さんと会って話をしたら、(小説家になる前の)川上さんもあの朗読会に見えていたということでした。わりに小さな集まりだったんだけど、いろんな方が来られていたようです。ときどきそういうこともやった方がいいのかもしれませんね。またどこかでやるかもしれません。

村上春樹拝