「物語の復権」について考える

いつも楽しく村上さんの作品を読ませてもらっております。
ところで、小説と物語ってどう違うのでしょう。私は日本文学を専攻しているのですが、さっぱりわかりません。少なくとも、物語は別の宇宙を創造しているような、広く深い感じがします。
(ぽっぽっぽ、男性、20歳、大学生)

小説と物語はべつのものではありません。小説という容れ物の中に、物語という装置が含まれていると考えていただければいいと思います。ただ二十世紀になって長いあいだ、「物語」というものが小説的環境からはじき出されていた――あるいは下位のポジションに追いやられていた――時期がありました。そんなものはもう時代遅れだ。それよりは心理描写だろう、言語解体だろう、意識の解析だろう、実験小説だろう、社会主義リアリズムだろう、ポストモダンだろう……みたいな。でも近年になってようやく「物語性」の大きな揺り戻し、というか復権がありました。もちろんその新しい「物語」は旧来の物語そのままではありません。それを引用しながら、そこに新しいイディオムを積極的に付け加えているわけです。だいたいわかっていただけましたでしょうか? 

僕が「物語の復権」という動きを最初に感じたのはジョン・アーヴィングの『ガープの世界』でした。それからティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』。それらを読んで「ああ、こんなのもありなんだ」と思いました。そこには新鮮な驚きがありました。もちろんガルシア=マルケスをはじめとする南米系マジック・リアリズムの影響もその背景にはあったわけですが。

村上春樹拝