「地下二階に降りる」とは?

村上さんの初期の作品に惹かれて読み始めていったん離れ、じわじわ引き戻されるようにして再開し、雨降って地固まったみたいな二十五年来の読者です。結局はいったん離れたときの作品が今ではいちばん好きです。村上さんのブレていないある部分に無意識にせよ気づいたことで、作品のダイナミズムを楽しめるようになったからではないかと考えています。昨年公開インタビューでおっしゃっていた、人間を二階建ての家に見立てた場合の「地下二階に降りる」こととも無縁ではないと思います。

そこで質問ですが、地下二階に降りることができるようになると、作品の質が変化するということのほかに、日常生活上の(視点の)変化も起きるものでしょうか? 例えばサンドイッチは具を二層で作るのを好むようになるとか、パーティーで招かれた館でひとり隠し扉に気づいてしまう、などというような。僕も、地下一階の床の音を木槌で確認するところから始めたいと思います。
(万年麦芽、男性、43歳、アルバイト〈八百屋〉)

僕の初期の作品が好きだという人と、後期の作品が好きだという人と、二つに分かれる傾向があるようですね。もちろんあちこち入り交じっている方もたくさんおられるんですが。僕はどんどんスタイルや手法を変えていますし(いつも同じだと批判されることもありますが)、スタイルを変えることを一種の原動力として前に進んできたと、自分では考えています。「より深く、より広く」というのが僕の基本的な方針です。これからもどんどん変わっていくと思います。でも作品のスタイルの変化と、日常生活の質とは、あまり関連していないようです。僕自身はいつもだいたい同じようなパターンで生活しています。やっていることは、昔とほとんど変わらないですね。「性格が比較的穏やかになった」とは言われますが。

村上春樹拝