翻訳の困難さと醍醐味について

翻訳の道を志している者です。先日、『恋しくて』を拝読しました。村上さんらしい表現満載でとても素敵でしたが、その時ふと疑問に思ったことがあります。翻訳するにあたって、当然意味の分からない語があると思います。そんな時の解決法として、辞書を引くなり人に聞くなりありますが、訳す際にそうして得た意味に引っ張られたりしないのでしょうか。そのような外部からの情報に、ご自身の表現が損なわれる場合、どのようにして解決しているのでしょうか。
(匿名希望、女性、16歳、学生)

よくわからない言葉や表現があると、辞書やらインターネットやらで徹底的に調べ、それでもわからないとネイティブの人に訊きます。それでもわからないときは思い切り勘を働かせます。そして最後には「えいや!」しかありません。でも最初から「えいや!」をやるのはルール違反です。そこにいくまでには全力を尽くします。でも「えいや!」が良い結果をもたらすことって、わりに多いんです。そのへんが翻訳の醍醐味です。

たとえばチャンドラーの小説を訳していると、書かれたのがなにしろ1940年代だったりしますから、当時の風俗的なもので、今となっては何のことだかよくわからんというものがちょくちょく出てきます。そういう場合は「想像して補うしかない」ということになります。「外部からの情報に、自分の表現が損なわれる」ことはないか? 原文に忠実でありながら、自分の表現が損なわれないようにするというのが、あくまで翻訳の王道です。想像力って、意外に大事です。

村上春樹拝