幸せな勘違い

思いがけない出会いからの春樹さんの小説の愛読者です。ネットなんて言葉もなかった33年前の中学2年の時。平積みしてあった『羊をめぐる冒険』をこともあろうか、植村直己さんの新作の冒険ものと思い込んでしまい、なけなしの小遣いをはたいて『羊~』を買いました。『羊~』を読み進めていても、当時の僕は「村上春樹」=「植村直己」と同一人物だと思い込んでいました。植村直己さんの真面目なイメージとは異なり、すぐに女性と「セックス」ばかりして、いつ犬ぞりで北極を横断するような本格的な冒険をするのか、このハレンチなインチキ冒険家が、と心の中で暴言を吐いていました。やっと中盤を過ぎたあたりで初めて別人ということに気が付きました。中2のうぶな自分には春樹さんの小説は刺激的でしたが、反面、春樹さんの物語世界では世間的にマイナスなものが確固とした個性として捉えられていて、ずいぶん励まされました。春樹さんの物語世界を知った後では、我が家の雑種の駄犬ですら何ものにも代えがたい個性を持った自慢の犬として見直され、大事に天寿を全うするまで飼いきった思い出があります。現在のネット社会ではありえない勘違いではありますが、僕にとってこの勘違いのおかげで、14歳から春樹さんの物語を堪能できるという幸福を享受できるようになったありがたい間違いでした。英語でいう「blessing in disguise](偽装された祝福)の状態です。そこで、春樹さんに質問です。僕のように不幸に見えて実はありがたかった経験が春樹さんにありましたら、何か教えてください。
(やまとしお、男性、46歳、自営業)

植村直己さんの本と間違えて『羊をめぐる冒険』を買うというのもユニークですね。それはびっくりするよな。でも好きになっていただいてよかったです。犬も認めてもらえてよかった。

僕はとくにそんなにラディカルな間違い方をしたという経験はないですね。でもマイルドな間違いはしょっちゅうです。しばらく前に京都の「俵屋旅館」に泊まったんですが、間違えて「炭屋旅館」(すぐ近所)に入って、玄関で「村上ですが」と言いました。「すみません。村上様のご予約は本日入っておりませんが」と言われて、「それはないでしょ。ちゃんと予約を入れたんだから」とぶつぶつ文句を言って、そのうちにはっと気がついたら「炭屋」だった。「すみません。俵屋さんと間違えました」と謝ったら、向こうもにこにこして「今度はうちにも泊まってくださいね」と言われました。とても恥ずかしかったです。まあ、これくらいの間違いはしばしばしてますが。

そのうちにちゃんと「炭屋」に泊まらなくちゃなと思っています。

村上春樹拝